しつけが「押し付け」になっている
子どもを叱らない親はいないと思います。
どんな優しい親でもダメなことをすれば叱ります。
もちろんその叱り方の程度はその親それぞれです。
ある教育学者は、日常的に叱ることは「しつけ」ではなく親の「押しつけ」だと言います。
ではなぜ、子どもにきちんとした「しつけ」ではなく、「押しつけ」をしてしまうのでしょうか。
子どもを叱ることは「しつけ」なのか
自分の子どもがお友達に悪い事をしたり、傷つけてしまったりすれば「叱る」ことは必要です。
また、横断歩道の渡り方や社会のルールを守ることなどをお話しすることなども必要です。
それらは「しつけ」と言っていいと思います。
しかし、親の気に入らない行動をした場合に「感情的に叱りつける」こと、これは「しつけ」とは言えません。
つまり「感情的」=「しつけ」ではないということです。
家事と育児に追われ、おまけに仕事もあったりするとかなりストレスもたまり感情的になってしまうのも、分からないでもありません。
しかし親の状況と子どもの状況とは切り離して考えたほうがいいです。
しかしそう簡単にいかないのが現状だと思います。
ついつい子どもを感情的に叱りつけてしまう・・・。
ではなぜそんなに感情的に叱りつけてしまうのでしょうか。
そこには、親のある固定概念があるからだといいます。
「しつけ」が「本当のしつけ」でなくなる親の固定概念
親の言う事を良く聞き、お利口さんでよく勉強し、怒ったことがない。
そんな子どもさん、いるでしょうか。
絶対にこの世にいない!とは言い切れませんが、世間の親は誰でも育児に対し悩みを持っているものです。
自分の思うようにいかないから悩むのであり、その悩みというのは実は「子どもとはこうあるべきだ」「こうでなければならない」といった親の持つ固定概念が原因となっています。
また、この親の固定概念が本当の「しつけ」を「押しつけ」にしてしまっていると言います。
親子でも価値観は違います
顔がそっくりだったり、靴下を脱ぎっぱなしにしたりするのはお父さんと一緒!など顔や性格などが似ているのが親子です。
そのような我が子の姿を見ていると、どうしても勘違いを起こしやすいことがあります。
それは、自分と我が子は「同質」「同じ」「同じ考え」だと思ってしまうことです。
自分は生真面目で正義感がある、社交的でさらに嘘は絶対につかないから、我が子も同じことをするだろうという考えが根本にあり、その考えのもと子育てをする。
親はその考え方から外れた行動をする我が子を叱ってしまいます。
それが実は「しつけ」ではなく「押しつけ」になっているのです。
親が子どものころに生徒会長をやりみんなの人気者であれば、子どもも絶対にそういう人間でしょうか。
大人もそれぞれなら子どももそれぞれです。
自分とまったく同じ価値観や考えを持っている人はいないはずです。
それは分かっているのに、我が子となると、なかなかそうは考えられなくなります。
子どもが洗面所で水道を流しっぱなしにするのは、単純にもったいないという大人の価値観がまだ無いからの行動です。
我が子でも価値観が違う一人の人間だということを認識し、親(大人)の価値観を押しつけないようにするべきです。
(※もちろん、水の流しっぱなしはもったいないということは認識させていく必要はあります。)
人間は強制されるのを嫌う
「勉強しなさい」「片付けしなさい」という発言を毎日のように使っている親は多いと思います。
「○○しなさい」という言葉は命令表現です。
それは別の言葉で表現すれば、強制となります。
この記事を読んでくださっている方はよくお分かりでしょうが、人間というのは「強制されたことはやりたくない」ものです。
そこで、命令してしまう前になぜそのように言わないと我が子は出来ないのかを考える必要があります。
そこを考えて大人として人生の経験者として導いてあげない限り「片付けしなさい」という言葉は単なる強制・命令でしかなく、「子どもにお片づけをさせるのが親の役割だ」という勝手な親の固定概念を押しつけているだけになります。
お片づけをするとお部屋がどうなるのかを一緒に考えます。
勉強なら「わかった!」「理解できる!」「出来ると面白い!」ということを一緒に実感していきます。
こうやって言うのは簡単です。
もちろん、一言いえば明日からすぐに良くなるものでもありません。
また、子どももそれぞれで、価値観・認識も異なります。
子どもの様子を観察しながら徐々にじっくり取り組んでいく必要があります。
子どもの気持ちや状況も考えずに今後は、頭ごなしに「○○しなさい」は避けていきたいです。
テレビで見かける有名人の例
テレビなどにたまに登場する「魚」が大好きな方がいます。
「ぎょぎょっ!」と言って頭に魚の帽子をかぶって登場しますが、彼が子どものとき学校の先生に親がこう言われたそうです。
「このままではいけないのでなんとかしませんか」と・・。
魚しか興味がなく、先生からすると皆と同じようにしてほしいという考えがあったのでしょう。
でも、その時にお母さんは、「いえ、この子はこのままでいいんです」と答えたようです。
魚が好きなタレントと思っている方も多いかもしれませんが、今では、大学での研究者の一面もあります。
嫌なことを強制せずに命令せずに、好きなことを伸ばしてあげた例ですね。
こういった例は実は多いんです。
将棋だけにのめり込んだ少年。
ロボット作成に夢中になってそのまま大人になった少年。
ゲームばかりの子どもがとんでもないゲームソフトを考案したり、虫ばかりを追いかけていた少年が世界的な教授になったり。
例を挙げたらキリがないくらいです。
みんな一緒ではなく人とは違った部分を求められる時代
現在の子育て世代の中心は、皆と同じことができるようになるためのみんな一緒になるための教育が中心だったと言えます。
しかし現在の子ども達がこれから生きていく世界は、人と同じことができることが求められているのではなく、「他の人とは違った技能」「他人にできない能力」が求められていく時代とされます。
「出る杭は打たれる」とういう時代も確かにありました。
でも、これはだんだん過去のことになってきています。
もちろん自分勝手な身勝手なことが許されるということではありません。
人にできない能力。人とは違った一面。
それは「個性」そして「長所」です。
子ども達みんなと足並みをそろえた、画一的な指導・教育はもう過去のことになってきています。
みんなと同じようにしなければ・・・という親の固定概念も我が子の長所を伸ばしてあげるうえで大きな障害となっていきます。
「どんな人間にも最低3つの長所がある」と言われたりします。
どんなにおっちょこちょいな子どもでも、3つの長所があると言います。
その長所=個性をきちんと見つけてあげて、親として伸ばしてあげる。
それこそ、今の時代の親が子どもにすべきことだと考えます。
今まで「しつけ」と信じて行動していたことが、実は親の勝手な「押しつけ」になっていなかったか。
改めて考えてみてください。
子どもの様子を見ていて、感情的になってしまう場面があったら、そこで少し意識をしてみてください。
そうすれば子どもにとって嫌な「叱る」は減るはずです。
親としても、感情的なしつけは後味が悪いはずです。
親の意識の変化が子どもに大きな可能性を与えます。
大きな成長をもたらします。
子どもはそういった大いなる可能性を持っている存在です。
感情的な勝手な押し付けは、親が意識すれば絶対に減らせるし無くすことができます。
子どもと向き合い話し合いじっくりと歩んでいきたいです。